今から銀座行って来る!今晩は銀座で一人ぼっち。酒が迎えてくれるはず!
今のところ、先週噴火したアイスランドの火山からの火山灰の影響で、ヨーロッパの航空はほとんど停止しています。
そんな中、初めてのウィーンへの出張があって喜んでいたら、フライトがキャンセルになりそうだということで、車で行くことに決定しました。
1時間少々で着くところを10時間かけて行く事になりました。
EUは陸続きなこともあってか、すぐ車で行こうとするこっちの人の感覚に驚きます。
電車で行こうと言ったのに、車のほうが安いからって…。確かにそうだけれど、10時間はきついなぁ。。。
日本だとどこからどこまで行けるんだろうか・・・。
今日、SKYPEでエジプトの人と知り合った。
そしてこの夏はエジプトに遊びに行こうと思う。
半年前は同じように中国の人とも知り合ったし、
夏に中国に遊びに行こうと思っている。
こんな風に世界が広がるのは楽しい。
21世紀的だなぁ。
数週間前、太宰治の『人間失格』と志賀直哉の『暗夜行路』を読んだ。
『人間失格』はいつ買ったか、いつ読んだかも忘れたが2006年以降のいつかだと思う。読むのは二度目だった。
『暗夜行路』は実家にあった大量の文庫本から持ち出して来た一冊で、10年程、引っ越すたびに持ち歩き、ついに読まず仕舞いでドイツまで持ってきていたものだった。
どちらも自伝的に語られる男の若いころが書かれていて、どっちの主人公も金持ちで、20代前半には東京で遊びまわっていた。
読み終わった感想は『ああ、20代前半にこれくらい遊んでおいたら、人生はもっと面白くなったかもしれないな』というものだった。
なぜかというと、僕は結局、誰かからの期待に沿うように生きてきたからだ。今でもそうだ。
それが単純に生きる意味を与えてくれると言っても過言ではない。
誰からも期待されなければ、それは生きがいを見出せずに苦悩したかもしれない。
その苦悩を忘れるために放蕩していたのがこれらの小説に出てくる主人公だと思うが、放蕩の中で人間との出会いと別れを沢山経験して、期待を裏切られ、期待を裏切り、自己の居る世界を知ったように思えるのだ。
期待を裏切らないように生きていくうちに、その見返りを求めるように、知らず知らず人に期待し、それに気付いたとき、それが裏切られることを恐れ、期待しなくなり、博愛主義を試みていた自分は既に過去の人間になり、人生の意味に苦悩していた自分は残された記録として理解できる人間でしかなく、歳を重ねる毎に人に深く共感することも少なくなり、年配の人と話す機会を重ねるたびに、誰もがそれぞれの人生を歩んでいることを意識し、人類の歴史の長さが急に短くなり、日本を出て世界の広さを知る度に自分の存在が小さくなり、人生に意味を見出すことができず、空虚さが皮膚を覆い、僕はこの世界に生きていながら世界が虚ろになってきた。
まるで『現代ゲーム』のプレイヤーのようだ。
これらの小説を読んだ後、自分の過去を振り返った。昔のメールを読んでみた。驚くほど完全に思い出せない人間がいることを知った。
家族や親友ですら、この先の人生で合える回数はもう数えられる程度だろう、と思うと、なるべく多くの言葉を交わしたくなってくる。そしてこれまで出会った人達、これから出会う人達は例え再会できないかもしれないとしても、忘れないでおきたくなってくる。会えるなら会いたくなってくる。
今、僕はあなたに期待したい。
そうして僕の『現代ゲーム』のプレイヤーとしての人生を終わらせたい。
リアルに生きたい。
期待し、裏切られることを恐れず、期待を裏切ることに怯えず、虚ろなベールを剥ぎ取り、自分の人生を現実化したい。
人間の中に生きたい。
20代前半に、破滅的に放蕩していれば、僕の今はもっと人間的だっただろうと思う。
完全に放置していたけれど、家でインターネットが使えるようになった今、また記事を書いていこうと思う。
とりあえず、高速道路で警察を撒こうとして銃を突きつけられたり手錠をされたりしながらも、何とか暮らしているこのごろ。
今日から夏時間なので、これにあわせてもっとアクティブになりたいです。
さっき、Google Mapを見て気付いたけれど、南アメリカ大陸とアフリカ大陸はきれいにくっつきそうな形をしている。
昔地球の大陸はゴンドワナ大陸と呼ばれる一つの大地だったという説があるが、どこがどうくっついていたかを気にしたことはなかった。
Wikipediaのゴンドワナ大陸のページを見ると、恐竜の活躍した白亜紀に南アメリカとアフリカが分かれ始めたらしい。
やっぱりくっついていたんだ…。
それで何を思ったかというと、金の産出が世界の半分を占めることで有名な南アフリカ共和国はどことくっついていたかということだ。
形的にはアルゼンチンかウルグアイになるだろうが、「ウルグアイ 金 白金」でGoogle検索した結果一位に来た報告書(http://www.jogmec.go.jp/mric_web/development/latinamerica/uruguay_05.pdf)(独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構の金属資源情報センター(http://www.jogmec.go.jp/mric_web/development/)ページ内「ウルグアイ東方共和国」から)を見ると、小規模ながら金鉱脈もあるらしい。
たまには世界地図を見るのも面白いものですね。
以前の記事に書いたGISはその後全然進捗なしだ。。。
またメモから変なのが出てきた。
「世界最低新聞」
内容
・世界で起こった最低のこと
・これは最低だ、と思ったこと
・あるテーマについて、最低であるものがなにかということ
「世界最低会議」
・不定期開催
・新聞のネタを作る
・またそれらについて語る
とのことだ。20歳前後だと思うが、まるで小学生みたいだ。
多分、世界最低会議では、記者は自分で最低のことをして新聞のネタにするんだと思う。
新聞をエンターテイメントのメディアとしか見ていない自分だが、形はどうであれ、とりあえず世界に目を向けていたことは良かったのではないかと思う。
僕はメモ帳を10個ほど使ってきたが、アイデアノートや落書きが残る、ある意味僕の歴史の断片を記録したものとして手元に残っている。
ふと、高校卒業~大学入学頃のメモを見ると、どうも発明案を書いているっぽいのだが、その中の一つに
「選んだ瞬間指がふっとぶ自動販売機
(3万Hzの超振動)」
というネタと共に「ピッ」「ボンッ」という効果音で指が吹っ飛ぶイラストが描いてあった。
昔の僕は常識とかけ離れた世界に近づくことが簡単に出来ていたのかもしれない。
パリに行ってきたわけですが、人生初のフランス、強烈な風雨の中で、お気に入りの折り畳み傘が壊れてショック。
エッフェル塔は昼間は灰色の鉄塔でしかないが、夜は照明が灯って綺麗だった。
パリを案内してくれたのは、オランダの人達で、「この中でエッフェル塔に感動しているのはお前だけだ」といわれた。みんなパリに住んだことがあったり、彼女に会いに通っていたり、とにかく見飽きているらしい。
第4回の万博のときに作られ、当時は「奇抜な外観」として反対意見もあったらしい(Wikipediaによる)が、東京タワーが普通のタワーだというイメージがあるので、エッフェル塔に奇抜さのかけらも感じない。大阪万博のときに建てられた岡本太郎デザインの「太陽の塔」は今見ても奇抜以外の何者でもない。
その後は、La Truffiereというレストランにて、人生初のフランス料理を食べた。
まず驚いたのが、ナプキンが銀の皿に乗せられて各席に置かれてあることだった。
ウエイトレスがその皿を取り、専用のトングでナプキンをはさんでテーブルの上に置いてゆく。
料理は一皿一皿ゆっくり出てくる。メインコースの後にチーズとデザート2皿。3時間以上かけて味わった。
パリいいなぁ。
さっき高村光太郎のパリの詩を探したときに、久々に見つけた詩が、改めて心に響いたので忘れないうちに載せておきたい。
数年前にこれを読んだとき、高村光太郎も自分と同じように、大人になって変わってしまった自分と親の期待する自分との離反を強烈に意識していたのだと思って心が楽になった覚えがある。
ただ、僕は「良風美俗」に外れるような生き方は出来なかった。ただ、反逆する対象もなく、自己の批判に終始し、理想だけが高く、実際には一時代に埋没した人間でしかない。
親不孝
狭くるしい檻のやうに神戸が見えた。
フジヤマは美しかつたが小さかつた。
むやみに喜ぶ父と母とを前にして
私は心であやまつた。
あれほど親思いといはれた奴の頭の中に
今何があるかをごぞんじない。
私が親不孝になることは
人間の名に於いて已むを得ない。
私は一個の人間として生きようとする。
一切が人間をゆるさぬこの国では、
それは反逆に外ならない。
父や母のたのしく待つた家庭の夢は
いちばんさきに破れるだらう。
どんなことになつてゆくか、
自分にもわからない。
良風美俗にはづれるだけは確である。
--あんな顔してねてるよ。--
母は私の枕もとで小さくささやく。
かういふ恩愛を私はこれからどうしよう。
それでも、そんな人間でも、何かいいことが出来るということを示したい。
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